セブへ到着する飛行機が市街地の中に降り、ここからManilaやビサヤ、ミンダナオへ向かっていた時代があったのです。Lahug Airportは、空港機能がマクタンへ移った後、すぐにITパークになったわけでもありません。空港として使われなくなった土地があり、土地をめぐる問題があり、民間企業による開発が始まり、PEZAの経済特区に指定されました。
現在のITパークは、約60年の間に、空港から未利用地へ、未利用地からIT産業の拠点へと役割を変えてきた場所です。
結論
この記事の要点
Cebu IT Parkの場所には、以前Lahug Airportがありました。ラホグの飛行場は、1930年代に軍用の飛行場として位置づけられ、1947年に国営空港へ再分類されました。1960年代にマクタン空港が開港すると、主要な商業航空便はマクタンへ移りました。
しかし、Lahug Airportのすべての機能が同じ日に消えたわけではありません。フィリピン最高裁判所の判決資料では、Lahug Airportが完全に運用を停止したのは1991年末ごろとされ、別の記録には1992年6月ごろ閉鎖したとの記載もあります。その後、この土地は民間開発され、2000年にPEZAからITパークとして認定されました。
さらに2001年2月27日、大統領布告No. 12によって、ラホグの土地が情報技術特別Economicゾーンに指定されました。現在のCebu IT Parkは、27ヘクタールの都市型経済地区です。
| 時期 | この場所の役割 |
|---|---|
| 1930年代 | 軍用空港・飛行場 |
| 1947年 | 国営空港 |
| 1960年代 | 主要航空便がマクタンへ移転 |
| 1991~1992年ごろ | Lahug Airportが完全に運用を終了 |
| 2000年 | PEZAがITパークとして認定 |
| 2001年 | IT特別Economicゾーンに指定 |
| 現在 | IT、BPO、住宅、商業が集まる複合地区 |
重要なのは、Lahug Airportが閉鎖されたから自動的にITパークになったのではないことです。空港跡地に、セブの新しい雇用をつくる政策と民間開発が重なったことで、現在の街が生まれました。
セブの飛行機は市街地に降りていた
現在、セブを訪れる旅行者が利用するのは、マクタン島にあるMactan-Cebu International Airportです。空港から橋を渡り、マンダウエを通ってセブ市へ入ります。しかし、以前はセブ市のラホグに空港がありました。
現在のITパーク周辺は、セブ市中心部から直線距離でそれほど離れていません。そこに飛行場があったため、当時のセブでは飛行機が市街地に近い場所へ離着陸していました。現在のITパークを歩いているだけでは想像しにくい風景です。高層ビルが建つ前、この場所には飛行機が移動するための長い空間と、飛行場に関連する施設がありました。
関連記事:コロン通りとセブITパークを同じ1kmで比べる|街のつくりはこう違う
1930年代は軍用の飛行場だった
Lahug Airportの初期については、資料によって「開港」「指定」「運用開始」の表現と年が異なります。そのため、すべてを一つの日付で説明するのは正確ではありません。フィリピン最高裁判所の判決資料では、ラホグの滑走路は、もともと軍用空港および飛行場として使用されていたとされています。
資料には、1938年6月24日付のExecutive注文No. 154への言及があります。つまり、現在のような商業空港として始まったのではなく、最初は軍事目的の飛行場として整備された場所でした。第二次世界大戦中には、セブも日本軍と連合軍による戦闘の場所となりました。ラホグの飛行場も、軍事上重要な施設の一つでした。
1947年に国営空港になった
戦後、ラホグの飛行場は民間航空の発展を支える空港へ変わります。1947年8月12日、Manuel Roxas大統領はExecutive注文No. 75を発令しました。この命令によって、ラホグにあったセブLanding現場は、局of Aeronauticsの管理下に置かれる国営空港へ再分類されました。
Executive注文には、その目的としてフィリピンの民間航空の発展を加速させることが示されています。Lahug Airportは、戦後のセブとManila、ビサヤ、ミンダナオを空路で結ぶ重要な場所になりました。現在のITパークが企業と海外をインターネットでつないでいるとすれば、当時のLahug Airportはセブと他地域を航空機でつないでいたのです。
関連資料:Lawphil|Executive Order No. 75, August 12, 1947
Lahug Airportは拡張される予定だった
戦後に航空需要が増えると、政府はLahug Airportの拡張を計画しました。1949年、National空港Corporationは、空港周辺の土地を取得するため、土地所有者との交渉を進めました。
しかし、提示された買収価格を低いと考え、売却を拒否した土地所有者もいました。交渉がまとまらなかった土地については、政府が収用手続きを進めました。
1961年、当時の裁判所は、Lahug Airportの拡張を目的とする土地収用を認めています。しかし、計画されていた空港拡張は実現しませんでした。マクタンで新しい空港の建設が進んだからです。この土地収用は、後に旧所有者と政府の間で長く争われる問題になりました。政府側が「空港として使わなくなった場合は土地を買い戻せる」と説明したかどうかが、裁判の重要な争点になったのです。
Cebu IT Parkの歴史は、飛行場から高層ビルへ一直線に進んだ開発物語ではありません。その間には、土地を提供した人々と政府との関係がありました。関連資料:Supreme Court of the Philippines via Lawphil|San Roque Realty v. Republic, G.R. No. 163130
なぜ空港はマクタンへ移った?
Lahug Airportは市街地に近く、利用者にとって便利な場所でした。しかし、都市に囲まれた空港には大きな制約があります。
- 滑走路を延長する土地が限られる
- 周辺に住宅や建物が増える
- 大型航空機への対応が難しい
- 騒音と安全上の問題がある
- 将来の航空需要に合わせた拡張が難しい
そこで、セブの主要空港機能は、より広い土地を確保できるマクタン島へ移されました。マクタン空港が運用を始めると、商業航空便は次第にマクタン側へ移りました。一般的な歴史紹介では、「Lahug Airportは1966年に閉鎖された」と説明されることがあります。しかし、ここには注意が必要です。
1960年代に主要な商業航空機能がマクタンへ移ったことと、Lahug Airportのすべての運用が終了したことは同じではありません。

1966年と1991年、どちらが閉鎖年?
Lahug Airportの歴史を調べると、複数の閉鎖年が出てきます。
| 年 | 確認できる変化 |
|---|---|
| 1966年 | マクタン空港の運用開始により主要な商業便が移転 |
| 1991年末ごろ | 最高裁判決資料でLahug Airportが完全に運用を停止したと記載 |
| 1992年6月ごろ | 別の裁判記録に旧空港の閉鎖時期として記載 |
これは、どれか一つが単純に間違っているという意味ではありません。「主要空港としての役割を終えた時期」と「残っていた空港機能を完全に終了した時期」が違うためです。したがって、この記事では、主要な商業航空機能は1960年代にマクタンへ移り、Lahug Airportは1991~1992年ごろに完全に運用を終えたと整理します。
昔と現在を比較するときは、一つの日付だけで街が突然変わったように書かないことが重要です。関連資料:Supreme Court of the Philippines via Lawphil|Ouano v. Republic and MCIAA, G.R. Nos. 168770 and 168812
空港移転後も特別な場所だった
主要便がマクタンへ移った後も、旧Lahug Airportの広い土地は、セブの人々に記憶される場所でした。1981年2月19日、Pope John Paul IIはセブ市で大規模なミサfor Familiesを行いました。
このミサの会場として使われたのが、旧Lahug Airportの滑走路でした。現在、オフィスやコンドミニアムが並ぶ場所に、多くの人々が集まり、ミサに参加した時代があったのです。空港としての役割が小さくなった後も、この土地はセブにとって大きな公共行事を受け入れられる空間でした。
関連資料:The Vatican|Mass for Families, Cebu City, February 19, 1981
関連記事:マクタンニュータウンができる前|プンタエンガニョはどんな場所だった?
空港がなくなっても、すぐに街にはならなかった
空港機能がマクタンへ移っても、旧空港の土地がすぐに現在のITパークへ変わったわけではありません。空港跡地を再利用するには、
- 土地の所有関係
- 旧所有者との問題
- 道路と区画の整備
- 電力と通信インフラ
- 開発資金
- 進出企業
- 政府の認定
が必要です。
特にLahug Airportでは、空港拡張のために取得された土地をめぐる訴訟が続きました。フィリピン最高裁判所の資料には、取得した土地の一部が本来の空港拡張に使われず、その後、民間企業による商業開発の対象になったことが記録されています。空港の閉鎖は土地を空けました。しかし、その土地に新しい都市をつくるには、別の政策と開発が必要だったのです。

27ヘクタールのAsiatown IT Parkへ
旧空港跡地では、セブ施設Ventures and Development Corporationによる開発が進められました。この地区は当初、Asiatown IT Parkと呼ばれていました。現在の名称はCebu IT Parkです。
フィリピンだしExchangeに掲載されている会社情報によると、Cebu IT Parkは27ヘクタールの開発地区です。
27ヘクタールは、東京ドームの建築面積を基準に単純比較すると、およそ5.8個分に相当します。一つの建物ではなく、複数の道路、オフィス、住宅、商業施設を含む街区として開発できる広さです。空港には滑走路と周辺施設のためのまとまった土地が必要です。そのため、空港跡地は、大規模な計画都市へ転換できる条件を持っていました。
関連資料:Philippine Stock Exchange EDGE|Cebu Property Ventures and Development Corporation
2000年にPEZAのITパークとして認定
Cebu IT Parkを普通のオフィス街と分ける重要な出来事が、PEZAによる認定です。フィリピンだしExchangeの会社情報によると、この地区は2000年にフィリピンEconomicゾーン当局からITパークとして認定されました。
PEZAの経済特区は、登録企業に対して税制や輸出入手続きなどの制度を提供し、国内外から投資を呼び込む仕組みです。ITパークとして認定されたことで、この場所は単に土地や建物を販売する開発ではなく、
- 情報技術
- ソフトウェア開発
- ビジネス手順Outsourcing
- コンタクトセンター
- 海外向け業務
を集める経済地区として位置づけられました。関連資料:Philippine Economic Zone Authority|PEZA-registered IT Parks and Centers
2001年にIT特別Economicゾーンになった
2001年2月27日、Gloria Macapagal-Arroyo大統領は大統領布告No. 12を発令しました。この布告によって、セブ市のバランガイラホグにある対象土地が、情報技術特別Economicゾーンに指定されました。
この指定は、共和国法No. 7916と、その改正法である共和国法No. 8748に基づいています。2000年のPEZA認定と2001年の大統領布告は、似ていますが同じ記録ではありません。
| 年 | 内容 |
|---|---|
| 2000年 | PEZAがITパークとして認定 |
| 2001年2月27日 | 大統領布告によりIT特別Economicゾーンに指定 |
この制度上の位置づけが、企業を呼び込む土台になりました。関連資料:Lawphil|Presidential Proclamations Series of 2001・Proclamation No. 12
関連記事:サウスロード地区は元は海|セブ市の埋め立て事業と円借款の歴史
BPO産業が空港跡地を24時間の街に変えた
2000年代のフィリピンでは、BPO産業が急速に成長しました。企業は、英語を使える人材、海外との通信環境、オフィスを運営できる都市、経済特区の制度を求めていました。Cebu IT Parkは、その条件を組み合わせた場所になりました。
BPOやコンタクトセンターの仕事は、北米など海外の時間に合わせて行われることがあります。そのため、夜間や早朝にも多くの従業員が働きます。働く人が増えると、その周囲に、
- 飲食店
- コンビニエンスストア
- 銀行とATM
- 薬局
- タクシーと配車サービス
- コンドミニアム
- ホテル
- 商業施設
が必要になります。こうしてCebu IT Parkは、昼間だけ人が集まるオフィス街ではなく、24時間動く生活圏へ変わりました。

空港とITパークには共通点がある
Lahug Airportと現在のCebu IT Parkは、まったく別の場所に見えます。しかし、役割には共通点があります。どちらも、セブと外部をつなぐ場所です。

| Lahug Airport | Cebu IT Park |
|---|---|
| 飛行機で人を運ぶ | 通信回線で仕事と情報を運ぶ |
| セブと国内各地を結ぶ | セブと海外企業を結ぶ |
| 操縦士や整備、空港職員が働く | IT、BPO、飲食、警備など多様な人が働く |
| 航空交通の拠点 | デジタル経済の拠点 |
| 市街地に近い空港 | 市街地にある経済特区 |
Lahug Airportでは、人が飛行機に乗ってセブの外へ向かいました。現在のITパークでは、セブにいながら海外の企業や顧客に向けて働きます。接続の方法は変わりました。しかし、セブと世界をつなぐ役割は残っています。
昔と現在の役割を比較する
| 比較項目 | 昔|Lahug Airport | 現在|Cebu IT Park |
|---|---|---|
| 主な役割 | 航空交通 | IT・BPO・商業・住宅 |
| 外部との接続 | 航空機 | インターネットと通信回線 |
| 主な利用者 | 乗客、軍、航空関係者 | 従業員、住民、買い物客 |
| 稼働する時間 | 航空便と業務時間が中心 | 24時間勤務の企業がある |
| 建物 | 空港関連施設 | 高層オフィス、住宅、ホテル |
| 土地の形 | 滑走路を中心とした広い空間 | 道路と複数の街区 |
| セブでの位置 | 航空の入口 | 雇用と都市生活の中心の一つ |
| 規模 | 空港と周辺用地 | 開発地区は27ヘクタール |
利用者と仕事、稼働時間は変わりましたが、セブと外部をつなぐ役割は続いています。
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現在の街に滑走路は残っている?
現在のITパークを歩いても、「ここが滑走路だった」とすぐに判断できる設備はほとんど見つかりません。道路、建物、駐車場、植栽によって、土地の使われ方が大きく変わっているからです。また、旧空港全体と現在の27ヘクタールのITパークが、完全に同じ範囲だったと考えることもできません。
Lahug Airportに関係する土地は、現在のITパークだけでなく、その周辺にもありました。
そのため、現在の道路一本を、そのまま旧滑走路だったと断定することには注意が必要です。正確に比較するには、旧空港の測量図や航空写真を、現在の地図へ重ねる必要があります。しかし、まとまった広い土地が残っていたことが、大規模なビジネス地区を計画できた重要な条件であることは確かです。
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変わったもの
Lahug AirportからCebu IT Parkへの転換で、大きく変わったのは土地の利用密度です。空港では、安全確保のために建物を建てられない広い空間が必要でした。現在は同じ地域に、オフィス、住宅、ホテル、飲食店、商業施設が集まっています。
また、この場所で生まれる仕事も変わりました。航空に直接関係する仕事から、IT、顧客対応、金融、ソフトウェア、飲食サービス、警備、建物管理などへ広がっています。飛行機が発着していた場所が、現在は多くのセブアノが働く場所になりました。
残ったもの
最も大きく残ったのは、セブと外の世界をつなぐ役割です。Lahug Airportは、セブの人と物を他の都市へ運びました。Cebu IT Parkは、セブの人材と海外の仕事をつないでいます。もう一つ残っているのは、市街地の中にあるという特徴です。
空港にとっては、市街地に囲まれたことが拡張の制約になりました。しかし、ITパークにとっては、多くの人が通勤し、周囲に住宅や商業施設をつくれる利点になりました。同じ立地条件が、空港には弱点となり、ビジネス街には強みとなったのです。
Lahug Airportは消えたのではなく、役割を変えた
Cebu IT Parkを見て、「昔はここに空港があり、現在はビルが建っている」と説明するだけなら簡単です。しかし、実際の変化はそれほど単純ではありません。
- 軍用飛行場だった時代
- 国営空港になった時代
- 拡張のために土地を取得した時代
- 主要便がマクタンへ移った時代
- 空港機能が完全に終了するまでの期間
- 土地をめぐる裁判
- 民間企業による開発
- PEZA認定
- IT特別Economicゾーン指定
- BPO産業の成長
という複数の段階がありました。現在のITパークは、古い空港を壊して建物を建てただけの場所ではありません。セブが航空交通で成長した時代から、デジタル経済で成長する時代へ移ったことを、一つの土地で見ることができる場所です。
よくある質問
- Cebu IT Parkは本当に空港跡地ですか?
Cebu IT Parkは本当に空港跡地ですか? - Lahug Airportはいつ開港しましたか?
Lahug Airportはいつ開港しましたか? - Lahug Airportはいつ閉鎖されましたか?
Lahug Airportはいつ閉鎖されましたか? - Cebu IT Parkの広さはどのくらいですか?
Cebu IT Parkの広さはどのくらいですか? - Cebu IT Parkはいつできましたか?
Cebu IT Parkはいつできましたか? - 昔の滑走路は現在も残っていますか?
昔の滑走路は現在も残っていますか? - なぜITパークでは夜中も人が働いているのですか?
なぜITパークでは夜中も人が働いているのですか?
※Lahug Airportの閉鎖年は、資料によって1966年、1991年末、1992年6月ごろなど異なる表記があります。この記事では、主要な商業航空機能がマクタンへ移った時期と、旧空港が完全に運用を終了した時期を分けて記載しています。
※旧空港と現在のCebu IT Parkの範囲は完全には一致しません。現在の道路を旧滑走路と断定する場合は、測量図や航空写真による追加確認が必要です。
まとめ
Lahug AirportからCebu IT Parkへの転換は、航空交通で人を結ぶ場所から、通信で世界の仕事と人材を結ぶ場所への変化です。商業便の移転、空港の完全な運用終了、土地の問題、民間開発、経済特区指定は別々の段階でした。その積み重ねが、現在の街をつくりました。