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セブとマクタンの橋の歴史 旧橋から第二橋へ広がった交通網
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セブとマクタンの橋の歴史 旧橋から第二橋へ広がった交通網

セブ本島とマクタン島の道路交通は、一つの旧橋へ集中する状態から、1999年8月に第二橋が供用される二橋体制へ変わりました。第二橋は、1990年の台風で損傷した旧橋への依存、増え続ける交通、マクタン島の国際空港・工業地区への移動を支える恒久的な代替路として計画されました。

田口じゅん(ナビセブ編集部)約10分公開 更新

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こんにちは、ナビセブ編集部の田口じゅんです。セブに住んで10年以上になります。暮らしとエリアの記事を担当しています。

ナビセブ編集部のまとめ

セブ本島とマクタン島の道路交通は、一つの旧橋へ集中する状態から、1999年8月に第二橋が供用される二橋体制へ変わりました。第二橋は、1990年の台風で損傷した旧橋への依存、増え続ける交通、マクタン島の国際空港・工業地区への移動を支える恒久的な代替路として計画されました。ただし、旧橋の開通年はLapu-Lapu市の保存年表が1971年、広く参照される別資料が1973年7月4日としており、今回確認できた一次資料だけでは差を解消できません。

本記事では年を一つに決めつけず、確認できた出来事と資料の時点を分けて整理します。

二つの橋の年表

上空から見た赤い鉄骨のOld Bridge

橋の歴史では、工事開始、完成、供用開始、式典、命名を別の出来事として読みます。特に第二橋は、建設事業名のSecond Mandaue-Mactan Bridgeと、後から法律で定められたMarcelo B. Fernan Bridgeという名称が同じ橋を指します。旧橋も長く通称で呼ばれた後、2022年に法律上の名称が定められました。

年・時期 確認できる出来事 資料上の注意
1971年/1973年 旧橋の開通年として二つの記録 一次記録を追加確認できず確定しない
1985年11月 Metro Cebu Development Master Plan策定 第二橋を含む道路網整備の背景
1990年 台風で旧橋が大きく損傷 JICA評価が第二橋計画の背景として記録
1993年8月 第二橋事業の円借款契約 建設開始や供用開始とは別
1996年10月 第二橋の実際の建設期間が開始 JICA評価の工程表による
1999年8月 第二橋が交通に供用 事業全体の完了は1999年10月
2000年6月27日 Marcelo B. Fernan Bridgeと命名 共和国法第8795号
2022年6月2日 旧橋をSerging Veloso Osmeña Jr. Bridgeへ改称 共和国法第11828号
二つの橋の年表

旧橋の開通年は1971年と1973年が併存する

赤い鉄骨アーチのMactan–Mandaue Bridge(Old Bridge)

Lapu-Lapu市公式サイトの保存年表は1971年の出来事としてMandaue-Mactan Bridgeの開通を記録しています。一方、広く参照されるは、工事開始を1970年、開通式を1973年7月4日としています。後者は二次資料であり、当時のDPWH建設原簿、開通式記録、橋の銘板を今回直接確認できていません。したがって「1971年完成、1973年正式開通」などと推測で役割を割り振ることも避けます。

確実に確認できるのは、現在Old Bridge、First Bridgeなどと呼ばれる橋が、Mactan Channelを越えてMandaueのBarangay LoocとLapu-LapuのBarangay Pajoを結ぶことです。共和国法第11828号は総距離854mと両端の道路を示し、2022年6月2日にSerging Veloso Osmeña Jr. Bridgeへ改称しました。この法律は名称と位置の根拠ですが、約半世紀前の開通日を確定する法律ではありません。

一つの橋に交通が集中していた

Old Bridgeの赤い鉄骨の間を走る車とバイク

JICAの2002年事後評価によると、マクタン島は国際空港を持つMetro Cebuの玄関口であり、大規模な工業団地が立地する経済活動の拠点として重要性を高めていました。これに対し、当時の道路横断は旧橋に依存していました。JICAは旧橋が1990年の台風で深刻な被害を受け、重量のある車両の通行が制限されたこと、交通需要が増え続けて2000年までに容量を超えると見込まれたことを、第二橋事業の背景に挙げています。

問題は渋滞だけではありません。一つの橋に頼ると、事故、損傷、補修、坂で停止した車両によって本島と島の移動全体が影響を受けます。空港へのアクセス、工業地区への通勤、Cebu City側にある学校や医療サービスへの移動を支えるには、別の横断路が必要でした。このため第二橋の目的には、恒久的な代替交通リンクの確保と、より信頼性が高く効率的な道路網の形成が明記されました。

第二橋は道路網の一部として計画された

上空から見たMarcelo Fernan Bridgeとマクタン海峡

第二橋は橋梁だけを単独で建設した事業ではありません。JICA資料では、新橋、アクセス道路、詳細設計・施工監理を一つの事業範囲として整理しています。

背景には1985年11月のMetro Cebu Development Master Planがあり、1989年以降、Cebu North Road、Plaridel Road、Mactan Circumferential Road、South Coastal Roadなどの道路網整備がMetro Cebu Projectsとして進められました。第二橋はこの広い道路計画の主要事業に位置付けられています。

当初計画は2車線でしたが、設計調査で完成後も早期に容量不足になると予測され、4車線へ変更されました。橋幅の変更に合わせてアクセス道路の範囲も拡大し、左折用高架も追加されました。実際の建設は1996年10月から36か月間で、橋とアクセス道路は1999年8月までに施工され、事業全体の実施期間は1999年10月までと記録されています。供用開始と事業完了を同じ日付として扱わないことが大切です。

1999年8月に二橋体制へ移行

Mandaue側から見たMarcelo Fernan Bridge

JICA評価は、第二橋が1999年8月に交通へ開放されたと明記しています。完成年の横断交通量は二橋合計45,904台/日で、旧橋27,764台/日、第二橋18,140台/日でした。これは1999年の実績であり、現在の交通量ではありません。しかし、開通直後から第二橋が全体の約40%を受け持ったことは、旧橋の単なる代替設備ではなく、二橋で交通を分担する構造が始まったことを示します。

1999年の横断交通 実績(台/日) 構成
Old Bridge 27,764 約60%
Second Mandaue-Mactan Bridge 18,140 約40%
二橋合計 45,904 100%
1999年8月に二橋体制へ移行

第二橋の開通後、マクタン島の工業地区へ向かうシャトルバスのルートが旧橋から新橋へ移ったとJICAは記録しています。また、旧橋周辺の市街地へ集中していた大型車交通を新橋へ分散する効果も評価しました。ただし、報告書の現地調査は2001年6月です。現在の通勤経路、交通比率、渋滞時間を同じ数字で説明することはできません。

Marcelo Fernanの名は開通後に付いた

Marcelo Fernan Bridgeの「Welcome to Mandaue City」の門

共和国法第8795号は、既に存在する2nd Mandaue-Mactan BridgeをMarcelo B. Fernan Bridgeと命名し、2000年6月27日の承認時に施行されました。したがって、1999年8月の供用開始時点と、2000年の法定命名は別の出来事です。Second Bridge、New Bridgeという通称は、新旧二橋を日常的に区別する呼び方として残っています。

同様に、旧橋の法定名称Serging Veloso Osmeña Jr. Bridgeも2022年の法律によるものです。橋の建設当時からこの法定名称だったわけではありません。歴史記事で名称を使う場合は、当時の事業名と現在の法定名称を区別すると、古い資料にMarcelo FernanやSerging Veloso Osmeña Jr.の名が見当たらない理由を説明できます。

三本目の接続で横断地点が広がった

上空から見たCCLEXの斜張橋と取り付け道路

CCLEXの公式保存ページは、Cebu–Cordova Link ExpresswayをCebu CityのSouth Road PropertiesとCordovaを結ぶ8.9kmの有料道路として説明しています。旧橋と第二橋がMandaue―Lapu-Lapuを結ぶのに対し、CCLEXは異なる南側の接続です。これにより道路による海峡横断は三ルートへ広がりましたが、料金、入口、目的地が違うため、三本が同じ役割を果たすわけではありません。

橋の歴史を「古い橋が新しい橋に置き換えられた」と捉えると、現在も旧橋が地域交通を担う理由を見失います。第二橋は旧橋を廃止するためではなく、代替性と容量を加えて二橋で支える道路網をつくりました。さらにCCLEXが別の接続軸を加えたことで、出発地と目的地に応じて横断地点を選ぶ現在の構造へ発展したと理解できます。

👨‍💻 ナビセブ編集部

ナビセブ編集部の結論

セブ本島とマクタン島の橋の歴史は、一つの旧橋に交通が集まっていた時代から、1999年8月に第二橋が使われ始めて二つの橋の体制へ移った流れです。第二橋は、旧橋の台風被害、交通量、空港や工業地区への移動を背景に、道路網の代わりの道として整備されました。2000年にMarcelo B. Fernan Bridge、2022年に旧橋のSerging Veloso Osmeña Jr. Bridgeという法律上の名前が決まっています。旧橋の開通年は1971年と1973年の資料があり確定していないため、使い始め・事業完了・命名は別の出来事として読むのが正確です。

マクタン海峡の向こうに見えるMarcelo Fernan Bridge

最後に

セブ本島とマクタン島の橋の歴史は、一つの旧橋への集中から、1999年8月の第二橋供用による二橋体制へ移った過程です。第二橋は、旧橋の台風被害、交通容量、空港・工業地区への移動を背景に、道路網全体の信頼性を高める代替路として整備されました。2000年にMarcelo B. Fernan Bridge、2022年に旧橋のSerging Veloso Osmeña Jr. Bridgeという法定名称が定められています。

旧橋の開通年は1971年と1973年の資料差が残るため確定せず、供用開始、事業完了、命名をそれぞれ別の出来事として読むのが正確です。

よくある質問

Old Bridgeは1971年と1973年のどちらに開通しましたか?

Lapu-Lapu市の保存年表は1971年、二次資料は1973年7月4日としています。当時の一次記録を追加確認できていないため、本記事では一方に確定していません。

Marcelo Fernan Bridgeはいつ開通しましたか?

JICA事後評価では1999年8月に交通へ供用されました。Marcelo B. Fernan Bridgeという法定名称は、共和国法第8795号が承認された2000年6月27日に定められています。

第二橋ができて旧橋は使われなくなりましたか?

いいえ。第二橋は旧橋を廃止するのではなく、交通容量と代替性を加える目的で整備されました。1999年には旧橋と第二橋の両方が横断交通を分担しています。

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