こんにちは、ナビセブ編集部の谷口まりです。親子でセブに移住しました。観光とグルメの記事を担当しています。
ナビセブ編集部のまとめ
Colon Streetのオベリスクは、セブのダウンタウンで「最古の通り」という説明を読み解く出発点です。東側のP. Burgos Streetから見ると、細長い記念碑の向こうにColonの街並みが続きます。歴史標識はこの通りをフィリピン最古と説明していますが、その根拠には研究者から異論も出ています。標識に書かれた内容と、通りが実際にいつ成立したかを分けて見ると、写真を撮るだけでは気付きにくい街の歴史に触れられます。
オベリスクはColonの東側を起点に探す
現地で目印になるのは、先端が尖り、上に向かって細くなる柱状の記念碑です。P. Burgos Street側から撮影された2026年8月26日の写真では、道路に囲まれた植栽のある区画に立ち、台座の面に説明板が付いています。その背後には車道と沿道の建物が続き、記念碑が街路の中に置かれている様子を確認できます。独立した展示館というより、日常の交通と歴史の説明が重なる場所として捉えると分かりやすいでしょう。
見る順番は、まず歩道側から記念碑と道路の位置関係を確かめ、次に無理なく読める説明板を探す流れがおすすめです。写真では記念碑の左右を車や二輪車が通っているため、文字を読むために車道で立ち止まる見方には向きません。台座の周囲を一周することを前提にせず、その日の横断位置や交通状況に合わせてください。全景と文字の記録を分けて撮ると、あとから標識の内容を読み返しやすくなります。
1961年と1999年の標識を分けて読む
英語の標識が伝える内容
1961年の標識写真には、上部にPhilippines Historical Committeeの名称と年号、本文の見出しにColon Streetとあります。本文はこの通りをParianとも呼び、「the oldest street in the Philippines」と説明しています。続いて、1565年にセブへ来たスペイン人とMiguel Lopez de Legaspiの艦隊を挙げ、通りの建設をその人々に結び付けています。
ここでは「標識がそう説明している」という事実を、まず押さえておきましょう。
この標識については、オベリスク上の説明板と同じ場所にあるものと考えないことも大切です。2020年の記録写真では、1961年の標識はColon沿いの建物の街路に面した柱に取り付けられています。標識の接写だけでは、どの建物や台座に付いているかまでは分かりません。現地で探すときも、写真の年号、見出し、周囲の景色を組み合わせて照合すると、別の説明板との取り違えを防げます。
Daang Colonの標識で確かめられること
1999年の標識写真には、National Historical Instituteの名称と年号、Daang Colonという見出しがあります。フィリピノ語の本文もParianという呼称に触れ、この通りをフィリピンで最も古い通りと位置付けています。1565年の到来とスペイン人による建設を結び付ける説明も共通しています。ただし、1961年と1999年は標識に記された年であり、道路そのものの建設年ではありません。
さらに注意したいのは、1565年が本文の中で何を指しているかです。少なくとも英語の標識では、スペイン人がセブへ到来した年として述べられています。その文章を短くまとめるうちに「1565年竣工」と言い換えてしまうと、原文よりも具体的な建設日程を付け加えることになります。歴史標識を読む際は、年号だけを拾うのではなく、その前後の主語と動詞まで見ることが大切です。
研究者は「最古」の根拠に何を問うているか
2025年2月4日のSunStarは、考古学者・社会史研究者Jobers Reynes Bersalesによる異論を紹介しました。報道が伝える1699年のセブの地図の読み方では、Spanish ciudadの境界にEstero de Parianがあり、Colonはその都市中心部の外側に位置します。Bersalesは、港や広場を軸とする都市の形成とColonの位置関係から、通説を問い直しています。
本記事では地図原本を確認できていないため、この点は報道を通じて紹介された研究者の見解として扱います。
MYTVの翌日の解説も、Bersalesが広場を中心とした街路配置に注目し、Magallanes Streetを有力な候補に挙げていると伝えています。この議論は、古そうに見える通りを選ぶのではなく、植民都市がどこを中心に形成されたかを手がかりにしています。ただし、研究者が別の候補を示したことと、国内のすべての街路を比較して最古が確定したことは同じではありません。「Colonに異論があるので、別の通りが確実に最古」と結論を急がず、どの範囲の証拠に基づく説明なのかを見ておきたいところです。
地図を史料として読む場合にも、描かれていないことを、そのまま存在しなかった証拠にはできません。描いた範囲、縮尺、目的によって、小さな道や都市境界の外の場所が省略されることがあるからです。一方、ある時代の地図に通りが描かれていれば、その時点の位置関係を考える手がかりになります。地図に現れる時期、道路が造られた時期、今の名前が付いた時期は、それぞれ別に確かめる必要があります。
絵葉書と旅行案内が広めた呼び名
「最古」という呼び名の普及について、SunStarはBersalesの説明をもとに、1910年のAmerican Bazarの絵葉書、1913〜1917年のL.G. Josephの絵葉書、1933年のAmerican Express Companyの旅行案内を挙げています。説明の範囲が「セブで最古」から「フィリピンで最古」へ広がったという整理です。これら個別の絵葉書と旅行案内の原本は、今回の調査では確認できていません。
通説が広まった経緯を考える入口として、報道の紹介であることを明記して読むのが適切です。
一方、実際の画像を確認できる例として、KITLV 1401562という資料番号の街路写真がWikimedia Commonsで公開されています。画像の下部には、Colon Streetの名称と「The Oldest Street in the Philippines」という文字が写っています。公開ページには1938年頃という年代情報がありますが、確定した撮影日としては扱えません。この資料から直接確かめられるのは、少なくともその写真資料に「最古」という説明が付されていることです。
写真そのものにも、文字とは別の読みどころがあります。道沿いに連続する二階建ての建物、張り出した屋根、その下を支える柱などが写り、建物と歩く空間の関係を観察できます。写っている景観は撮影時の街路を考える資料になりますが、写真に添えた「最古」という説明は、さらに古い時代についての主張です。一枚の写真でも、目に見えるものと、説明文が述べることでは、確かめられる内容が違います。
標識は街が歴史を伝えてきた記録でもある
公的な標識に異論が出たからといって、標識を見る意味がなくなるわけではありません。標識は過去の出来事を説明すると同時に、設置された時代に、街が何を重要な歴史として伝えようとしたかを残しています。通りの成立を調べる史料として読む視点と、公的な記憶の形として読む視点を持つと、一つの記念物から考えられることが増えます。Colonでは、「最古」という呼び名が街の紹介に使われてきたこと自体も、興味深い歴史の一部です。
現地でメモを取るなら、標識の見出し、言語、上部の機関名と年号、本文中の年代を分けて記録してみてください。古い写真と見比べる場合は、写真の撮影年と公開ページへの登録年も区別します。読み取れない文字は空欄にしておき、別の標識や観光案内の文言で補わないほうが、あとから照合できます。標識の説明をそのまま繰り返すよりも、何が確認でき、何が議論の対象なのかを意識すると、街歩きが史料を読む体験になります。
最後に
Colon Streetのオベリスクと歴史標識は、セブの街が自らの歴史をどのように伝えてきたかを考える場所です。標識では「フィリピン最古の通り」と説明される一方、研究者は古地図や都市の配置、絵葉書の文言からその根拠を問い直しています。現地では記念碑と街路の関係を眺め、資料では説明の出所と年代を読み分けてみてください。「最古かどうか」という一問から、街並みと歴史の伝わり方の両方へ関心を広げられます。
よくある質問
Colon Streetはフィリピン最古の通りですか?
歴史標識ではそのように説明されていますが、成立年代の根拠について研究者から異論が出ています。本記事では、標識が伝える公的な説明と、史料をもとにした議論を分けています。国内最古であることが確定した道路としては紹介していません。
オベリスクはどちら側から探すと分かりやすいですか?
Colonの東側、P. Burgos Street側が位置関係をつかむ手がかりになります。そこから撮影された写真では、記念碑の向こうにColonの街並みが続いています。道路に囲まれた場所なので、歩道と横断位置を確認して観察してください。
1961年と1999年は何の年ですか?
確認した二つの歴史標識に記されている年です。1961年の英語標識と1999年のDaang Colonの標識は、文字や設置場所を照合して別々に読む必要があります。これらの年を通りの建設年や、オベリスク全体の竣工年に置き換えることはできません。
